古典の原文倉庫 歌座  /  1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11 12  13   平家物語 BOOK ベスト 54 

          
        
平家物語 
    
          縦書原文
        
 

                

                

     灌頂巻


 


大原入  文治元年

 建礼門院は、東山のふもと、吉田の辺なる所にぞ、立ち入らせ給ひける。中納言の法院慶恵と申す奈良法師の坊なりけり。住み荒らして年久しうなりければ、庭には草深く、軒には信夫しげれり。簾絶え閨あらはにて、雨風たまるべうもなし。
花はいろいろにほへども、主と頼む人もなく、月は夜な夜なさし入れども、ながめてあかす主もなし。昔は玉のうてなを磨き、錦の帳にまとはれて、明かし暮らし給ひしに、今はありとしある人にみな別れはてて、あさましげなる朽ち坊に入らせ給ひける御心のうち、おしはかられてあはれなり。魚のくがに上がれるがごとく、鳥の巣を離れたるがごとし。さるままには、うかりし浪の上、舟のうちの御住まひ、今は恋しうぞ思し召す。蒼波道遠し、思ひを西海千里の雲に寄せ、白屋苔深くして、涙東山一庭の月に落つ。悲しともいふはかりなし。
 かくて女院は、文治元年五月一日、御ぐしおろさせ給ひけり。
御戒の師には、長楽寺の阿証坊の上人印西とぞ聞こえし。御布施には、先帝の御直衣なり。いまはの時まで召されたりければ、その御移り香もいまだ失せず、御形見に御覧ぜんとて、西国よりはるばると都まで持たせ給ひたりければ、いかならん世までも、御身を放たじとこそ思し召されけれども、御布施になりぬべき物のなき上、かつはかの御菩提のためとて、泣く泣くとり出ださせ給ひけり。
上人これを賜はつて、何と奏すべき旨もなくして、墨染の袖をしぼりつつ、泣く泣くまかり出でられけり。この御意をば八幡に縫うて、長楽寺の仏前にかけられけるとぞ聞こえし。
 女院は十五にて、女御の宣旨を下され、十六にて后妃の位にそなはり、君王の傍らに候はせ給ひて、あしたには朝政を勧め、夜は夜をもつぱらにし給へり。
二十二にて皇子御誕生、皇太子に立ち、位に即かせ給ひしかば、院号かうぶらせ給ひて、建礼門院とぞ申しける。入道相国の御娘なる上、天下の国母にてましましければ、世の重うし奉ることなのめならず。今年は二十九にぞならせましましける。
 桃李の御粧ひなほこまやかに、芙蓉の御容貌もいまだ衰へさせ給はねども、翡翠の御かんざしつけても、何にかはせさせ給ふべきなれば、つひに御様をかへさせ給ふ。憂き世をいとひ、まことの道に入らせ給へども、御嘆きはさらにつきせず。
 人々今はかくとて海にしづみし有様、先帝、二位殿の御面影、いかならん世までも忘れ難く思し召すに、露の御命、なにしに今までながらへて、かかる憂き目を見るらんと思し召し続けて、御涙せきあへさせ給はず。五月の短夜なれども、明かしかねさせ給ひつつ、おのづからうちまどろませ給はねば、昔の事をば夢にだにも御覧ぜず。壁にそむける残んの灯火の影かすかに、夜もすがら窓うつくらき雨の音ぞさびしかりける。上陽人が上陽宮に閉ぢられけん悲しみも、これには過ぎじとぞ見えし。
 昔をしのぶつまとなれとてや、もとの主の移し植ゑたりけん花橘の風なつかしうかをりけるに、ほととぎすの二声三声おとづれて通りければ、女院、ふるきことなれども、思し召し出でて、御硯の蓋にかうぞあそばされける。
  ほととぎす花橘の香をとめて鳴くは昔の人や恋ひしき
 女房たち、さのみたけく二位殿、越前の三位の上のやうに、水の底にも沈み給はねば、もののふのあらけなきに捕らはれて、旧里に帰り、若きも老いたるも様をかへ、かたちをやつし、あるにもあらぬ有様にてぞ、思ひもかけぬ谷の底、岩のはざまにてぞ、明かし暮らし給ひける。
住まひし宿は、みな煙と上りにしかば、むなしき跡のみ残りて、しげき野辺となりつつ、見なれし人のとひ来るもなし。仙家より帰つて七世の孫にあひけんも、かくやとおぼえて哀れなり。

 さるほどに七月九日の日の大地震に築地も崩れ、荒れたる御所もかたぶき破れて、いとどすませ給ふべき御便りもなし。緑衣の監使、宮門を守るだにもなし。心のままに荒れたる間垣は、しげき野辺よりも露けく、折知り顔に、いつしか虫の声々うらむるも哀れなり。
夜もやうやう長くなれば、いとど御寝覚めがちにて、明かしかねさせ給ひけり。つきせぬ御物思ひに、秋のあはれさへうち添ひて、忍び難うぞ思し召されける。
何事も変はり果てぬるうき世なれば、おのづからあはれをかけ奉るべき草のたよりさへかれ果てて、誰はぐくみ奉るべしとも見え給はず。
 されども冷泉大納言隆房卿、七条修理大夫信隆卿の北の方、しのびつつ、やうやうにとぶらひ申させ給ひけり。
「あの人どものはぐくみにてあるべしとこそ、昔は思はざりしか」とて、女院、御涙を流させ給へば、つき参らせたる女房達も、みな袖をぞ絞られける。
 この御住まひも、なほ都近く、玉鉾の道ゆき人の人目もしげければ、露の御命の風を待たんほどは、うき事聞かぬ深き山の、奥の奥へも入りなばやとは思しけれども、さるべき便りもましまさず。
ある女房の参つて申しけるは、「大原山の奥、寂光院と申し候ふ所こそ、しづかに候へ」とぞ申しければ、「山里はもののさびしきことこそあるなれども、世のうきよりは住みよかんなるものを」とて、思し召したたせ給ひけり。
御輿などは、隆房卿の北の方の沙汰ありけるとかや。
 文治元年長月の末に、かの寂光院へいらせおはします。
道すがら、四方の梢のいろいろなるを御覧じ過ぎさせ給ふほどに、山陰なればにや、日もすでに暮れかかりぬ。野寺の鐘の入相の声すごく、分くる草葉の露しげみ、いとど御袖濡れ増さり、嵐はげしく、木の葉みだりがはし。空かき曇り、いつしかうちしぐれつつ、鹿の音かすかに音づれて、虫の恨みも絶え絶えなり。とにかくにとりあつめたる御心細さ、たとへやるべき方もなし。
 浦伝ひ島伝ひせし時も、さすがかくはなかりしものをと、思し召すこそ悲しけれ。岩に苔むしてさびたる所なりければ、住ままほしうぞ思し召す。露結ぶ庭の荻原霜がれて、間垣の菊の枯れ枯れに、うつろふ色を御覧じても、御身の上とやおぼしけん。仏の御前に参らせ給ひて、「天子聖霊、成等正覚、頓証菩提」と祈り申させ給ふにつけても、先帝の御面影、ひしと御身にそひて、いかならん世にか、思し召し忘れさせ給ふべき。
 さて寂光院の傍らに、方丈なる御庵室を結んで、一間をば仏所に定め、昼夜朝夕の御勤め、長時不断の御念仏、怠る事なくして、月日を送らせ給ひけり。
 かくて神無月中の五日の暮れ方に、庭に散りしく楢の葉を、踏み鳴らして聞こえければ、女院、「世をいとふ所に、何者のとひ来るやらん。あれ見よや。しのぶべき者ならば、急ぎしのばん」とて見せらるるに、小鹿の通るにてぞありける。女院、「いかに」と御尋ねあれば、大納言佐殿、涙をおさへて、
  岩根ふみ誰かはとはん楢の葉のそよぐは鹿の渡るなりけり
女院あはれに思し召し、窓の小障子この歌をにあそばし留めさせ給ひけり。
 かかるおんつれづれの中に、思し召しなぞらふる事どもは、つらき中にもあまたあり。軒に並べる植木をば、七重宝樹とかたどれり。岩間に積もる水をば、八功徳池と思し召す。無常は春の花、風に従つて散りやすく、有界は秋の月、雲にともなつて隠れやすし。昭陽殿に花をもてあそびし朝には、風来たつてにほひを散らし、長秋宮に月を詠ぜし夕べには、雲覆うて光を隠す。昔は玉楼金殿に、錦のしとねを敷き、妙なりし御住まひなりしかども、今は柴引き結ぶ草の庵、よその袂もしをれけり。


大原御幸 <文治二年>

 かかりしほどに、文治二年の春の頃、法皇、建礼門院大原の閑居の御住まひ、御覧ぜまほしう思し召されけれども、如月、弥生のほどは、風はげしく、余寒もいまだつきせず。峰の白雪消えやらで、谷のつららもうち解けず。
 春すぎ夏きたつて、北祭も過ぎしかば、法皇夜をこめて、大原の奥へぞ御幸なる。忍びの御幸なりけれども、供奉の人々、徳大寺、花山院、土御門以下、公卿六人、殿上人八人、北面少々候ひけり。
鞍馬通りの御幸なりければ、清原深養父が補陀落寺、小野皇太后宮の旧跡叡覧あつて、それより御輿に召されけり。遠山にかかる白雲は、散りにし花の形見なり。青葉に見ゆる梢には、春の名残ぞ惜しまるる。頃は卯月二十日余りの事なれば、夏草のしげみが末をわけ入らせ給ふに、始めたる御幸なれば、御覧じなれたる方もなし、人跡絶えたるほども思し召し知られてあはれなり。
 西のやまのふもとに、一宇の御堂あり。すなはち寂光院これなり。
旧う作りなせる山水木立、由あるさまの所なり。「甍やぶれては霧不断の香をたき、枢落ちては月常住の灯を挑ぐ」とも、かやうの所をや申すべき。
庭の若草しげり合ひ、青柳糸を乱りつつ、池の浮き草波にただよひ、錦をさらすかとあやまたる。中島の松にかかれる藤波の、うら紫に咲ける色、青葉まじりの遅桜、初花よりもめづらしく、岸の山吹咲き乱れ、八重たつ雲の絶え間より、山ほととぎすの一声も、君の御幸を待ち顔なり。法皇これを叡覧あつて、かうぞ思し召し続けける。
  池水に汀の桜散りしきて波の花こそ盛りなりけれ
ふりにける岩の絶え間より、落ちくる水の音さへ、故び由ある所なり。緑蘿の垣、翠黛の山、画に書くとも筆も及びがたし。
 女院の御庵室を御覧ずれば、軒には蔦、朝顔這ひかかり、忍まじりの忘れ草、瓢箪しばしば空し、草顔淵がちまたにしげし、れいでう深く鎖せり、雨原憲が枢をうるほすともいつつべし。板の葺き目もまばらにて、時雨も霜も置く露も、漏る月影に争ひて、たまるべしとも見えざりけり。
後ろは山、前は野辺、いざさ小篠に風騒ぎ、世にたたぬ身のならひとて、うきふししげき竹柱、都の方の言伝は、間遠に結へるませ垣や、はつかに事問ふものとては、峰に木伝ふ猿の声、しづが爪木の斧の音、これらが音づれならでは、正木のかづら、青つづら、くる人まれなる所なり。
 法皇、「人やある、人やある」と召されけれども、御答へ申す者もなし。はるかにあつて老い衰へたる尼一人参りたり。
「女院はいづくへ御幸なりぬるぞ」と仰せければ、「この上の山へ花摘みに入らせ給ひて候ふ」と申す。
「さやうのことにつかへ奉るべき人もなきにや、さこそ世を捨つる身といひながら、御いたはしうこそ」と仰せければ、
この尼申しけるは、「五戒十善の御果報尽きさせ給ふによつて、今かかる御目を御覧ずるにこそ候へ。捨身の行に、なじかは御身を惜しませ給ひ候ふべき。因果経には、『欲知過去因、見其現在果、欲知未来果、見其現在因』と説かれたり。過去未来の因果を悟らせ給ひなば、つやつや御嘆きあるべからず。悉達太子は、十九にて伽耶城を出で、檀特山の麓にて、木の葉を連ねて肌へを隠し、嶺にのぼりて薪を取り、谷に下りて水をむすび、難行苦行の功によつて、つひに成等正覚し給ひき」とぞ申しける。この尼の有様を御覧ずれば、身には絹布のわきもみえぬ物を結び集めてぞ着たりける。
あの有様にても、かやうのこと申す不思議さよ、と思し召し、「そもそも汝はいかなる者ぞ」と仰せければ、
この尼さめざめと泣いて、しばしは御返事にも及ばず。ややあつて、涙をおさへて申しけるは、「申すにつけて憚りおぼえ候へども、故少納言入道信西が娘、あはの内侍と申すものにて候ふなり。母は紀伊の二位、さしも御いとほしみ深うこそ候ひしに、御覧じ忘れさせ給ふにつけても、身の衰へぬるほど思ひ知られて、今さらせん方なうこそ候へ」とて、袖を顔におしあてて、しのびあへぬ様、目も当てられず。
法皇、「されば汝は、阿波内侍にてこそあんなれ。今さら御覧じ忘れけり。ただ夢とのみこそおぼしめせ」とて、御涙せきあへさせ給はず。供奉の公卿殿上人も、「不思議の尼かなと思ひたれば、理にてありけり」とぞ、おのおの申し合はれける。
 さて、あなたこなたを叡覧あるに、庭の千草露重く、籬に倒れかかりつつ、外面の小田も見えわかず。
御庵室に入らせ給ひて、障子を引きあけて御覧ずれば、一間には来迎の三尊おはします。中尊の御手には、五色の糸をかけられたり。左に普賢の画像、右には善導和尚ならびに先帝の御影をかけ、八軸の妙文、九帖の御疏も置かれたり。蘭麝の匂ひにひきかへて、香の煙ぞ立ち上る。かの浄名居士の方丈の室の中に、三万二千の床を並べ、十方の諸仏を請じ給ひけんも、かくやとぞおぼえける。障子には諸経の要文ども、色紙に書いて所々に押されたり。
その中に大江定基法師が、清涼山にして詠じたりけん、「笙歌遥か聞こゆ弧雲の上、聖衆来迎す落日の前」とも書かれたり。少しひきのけて、女院の御製とおぼしくて、
  思ひきや深山の奥にすまひして雲居の月をよそに見んとは
さて傍らを御覧ずれば、御寝所とおぼしくて、竹の御竿に麻の御衣、紙の御衾などかけられたり。さしも本朝漢土の妙なる類数を尽くして、綾羅錦繍の粧もさながら夢になりにけり。供奉の公卿殿上人も、おのおの見参らせ給ひし事どなれば、今のやうにおぼえて、皆袖をぞ絞られける。
 さるほどに、上の山より、濃き墨染の衣着たる尼二人、岩のかけ路を伝ひつつ、下りわづらひてぞ見えたりける。
法皇これを御覧じて、「あれは何者ぞ」と御尋ねあれば、老尼涙をおさへて申しけるは、「花籃肱にかけ、岩躑躅取り具して持たせ給ひたるは、女院にて渡らせ給ひ候ふなり。爪木に蕨折り具し候ふは、鳥飼中納言維実の娘、五条大納言邦綱な養子、先帝の御乳母、大納言典侍」と申しもあへず泣きけり。
法皇も世に哀れげに思し召して、御涙せきあへさせ給はず。
女院はさこそ世を捨つ御身と言ひながら、今かかる有様を見え参らせんずらん恥づかしさよ、消えも失せばやと思し召せどもかひぞなき。
宵宵ごとの閼伽の水、むすぶ袂もしをるるに、暁起きの袖の上、山路の露もしげくして、絞りやかねさせ給ひけん、山へも帰らせ給はず、御庵室へも入らせ給はず、御涙にむせばせ給ひ、あきれて立たせましましたる所に、内侍の尼参りつつ、花籃をば賜りけり。


六道 <文治二年>

 「世をいとふ御習ひ、何かは苦しう候ふべき。はやばや御対面侍うて、還御参らさせ候へ」と申しければ、女院御庵室に入らせ給ふ。
「一念の窓の前には摂取の光明を期し、十年の柴の扉には、聖衆の来迎をこそ待ちつるに、思ひの外の御幸なりける不思議さよ」とて、泣く泣く御見参ありけり。
 法皇この御有様を見参らさせ給ひて、「非想の八万劫、なほ必滅の愁へにあひ、欲界の六天、いまだ五衰の悲しみをまぬかれず。善見城の勝妙の楽、仲間禅の高台の閣、また夢の裏の果報、幻の間の楽しみ、すでに流転無窮なり。車輪のめぐるがごとし。天人の五衰の悲しみは、人間にも候ひけるものを」とぞ仰せける。「さるにても、誰か事問ひ参らせ候ふ。何事につけてもさこそ古思し召し出で候ふらめ」と仰せければ、
「いづかたよりも音信るる事も候はず。隆房、信隆の北の方より、絶え絶え申し送る事こそ候へ。その昔あの人どもの育みにてあるべしとは、つゆも思し召し寄り候はず」とて、御涙を流させ給へば、つき参らせたる女房たちも、皆袖をぞ濡らされける。
女院涙をおさへて申させ給ひけるは、「かかる身になる事は、一旦の嘆き申すに及び候はねども、後生菩提のためには、喜びとおぼえ候ふなり。たちまちに釈迦の遺弟につらなり、かたじけなく弥陀の本願に乗じて、五障三従の苦しみをのがれ、三時に六根を清め、一筋に九品の浄刹を願ふ。もつぱら一門の菩提を祈り、常は三尊の来迎を期す。いつの世にも忘れがたきは、先帝の御面影、忘れんとすれども忘られず、忍ばんとすれども忍ばれず。ただ恩愛の道ほど、悲しかりけることはなし。さればかの菩提のために、朝夕の勤め怠ること候はず。これもしかるべき善知識とおぼえ候ふ」と申させ給ひければ、
法皇仰せなりけるは、「この国は粟散辺土なりといへども、かたじけなく十善の余薫にこたへて万乗の主となり、随分一つとして心にかなはずといふ事なし。なかんづく仏法流布の世に生まれて、仏道修行の心ざしあれば、後生善所疑ひあるべからず。人間のあだなるならひ、今さら驚くべきにはあらねども、御有様見奉るに、せん方なうこそ候へ」と仰せければ、
女院かさねて申させ給ひけるは、「我が身平相国の娘として、天子の国母となりしかば、一天四海みな掌のままなり。拝礼の春のはじめより、色色の衣がへ、仏名の年の暮れ、摂以下の大臣公卿にもてなされし有様、六欲四禅の雲の上にて、八万の諸天に囲繞せられ候ふらんやうに、百官ことごとく仰がぬ者や候ひし。清涼紫宸の床の上、玉の簾の中にもてなされ、春は南殿の桜に心をとめて日を暮らし、九夏三伏のあつき日は、泉をむすびて心をなぐさめ、秋は雲の上の月を独り見んことを許されず。玄冬素雪の寒き夜は、褄を重ねて暖かにす。
長生不老の術を願ひ、蓬莱不死の薬を尋ねても、ただ久しからん事をのみ思へり。明けても暮れても、楽しみ栄えし事、天上の果報も、これには過ぎじとこそおぼえ候ひしか。
それに寿永の秋の始め、木曾義仲とかやに恐れて、一門の人々、住みなれし都をば雲居の余所に顧みて、故里を焼け野の原とうちながめ、古は名をのみ聞きし須磨より明石の浦伝ひ、さすがあはれにおぼえて、昼は漫々たる浪路を分けて袖を濡らし、夜は州崎の千鳥とともに泣き明かし、浦浦島島、由ある所を見しかども、故里の事は忘られず。
かくて寄る方なかりしは、五衰必滅の悲しみとこそおぼえ候ひしか。人間の事は、愛別離苦、怨憎会苦、ともに我が身に知られて候ふ。四苦八苦一として残る所も候はず。
 さても筑前国太宰府といふ所にて、維義とかやに九国の内をも追ひ出だされ、山野広しといへども、立ち寄り休むべき所もなし。同じ秋の末にもなりしかば、昔は九重の雲の上にて見し月を、今は八重の潮路にながめつつ、明かし暮らし候ひしほどに、神無月の頃ほひ、清経中将が、『都をば源氏がために攻め落とされ、鎮西をば維義がために追ひ出ださる。網にかかれる魚のごとし。いづくへ行かば逃るべきかは。ながらへ果つべき身にもあらず』とて、海にしづみ候ひしぞ心うき事の始めにて候ひし。
浪の上にて日を暮らし、船の中にて夜を明かす。貢物もなかりしかば、供御をそなふる事もなく、たまたま供御をそなへんとすれども、水なければ参らず。大海に浮かぶといへども、潮なれば飲む事もなし。これまた餓鬼道の苦しみとこそおぼえ候ひしか。
 かくて室山、水島所々の戦ひに勝ちしかば、人々、少し色直つて見え候ひしほどに、一の谷といふ所にて一門多く滅びし後は、直衣束帯を引きかへて、鉄を延べて身にまとひ、明けても暮れても戦よばひの声絶えざりし事、修羅の闘諍、帝釈の争ひもかくやとこそおぼえ候ひしか。一の谷を攻め落とされて後、親は子に後れ、妻は夫に別れ、沖に釣りする船をば、敵の船かと胆を消し、遠き松に群れ居る鷺をば、源氏の旗かと心を尽くす。
 さても門司、赤間の関にて戦は今日を限りと見えしかば、二位の尼申しおく事候ひき。
『男の命の生き残らん事は、千万が一もありがたし。たとひまた遠き縁はおのづから生き残りたりといふとも、我等が後生をとぶらはん事もありがたし。昔より女は殺さぬ習ひなれば、いかにもしてながらへて、主上の後世をもとぶらひ参らせ、我等が後生をも助け給へ』とかき口説き申し候ひしが、夢の心地しておぼえ候ひしほどに、風俄かに吹き、浮雲厚くたなびいて、兵心をまどはし、天運尽きて、人の力に及びがたし。
すでに今はかうと見えしかば、二位の尼先帝を抱き奉て、船ばたに出でし時、あきれたる御様にて、『尼前我をばいづちへ具してゆかんとするぞ』と仰せ候ひしかば、
いとけなき君に向かひ奉り、涙を押さへて申し候ひしは、『君は今だ知ろしめされ候はずや。先世の十善戒行の御力によつて、今万乗の主と生まれさせ給へども、悪縁に引かれて御運すでに尽きさせ給ひぬ。まづ東に向かはせ給ひて、伊勢大神宮に御暇申させ給ひ、その後西方浄土の来迎にあづからんと思し召し、西に向かはせ給ひて御念仏候ふべし。この国は心憂き境にて候へば、極楽浄土とてめでたき所へ具し参らせ候ふぞ』と、泣く泣く申し候ひしかば、山鳩色の御衣に鬢結はせ給ひて、御涙におぼれ、小さううつくしい御手を合はせ、まづ東を伏し拝み、伊勢大神宮に御暇申させ給ひ、その後西に向かはせ給ひて御念仏ありしかば、二位殿やがて抱き奉つて、海に沈みし御面影、目もくれ心も消え果てて、忘れんとすれども忘られず。忍ばんとすれども忍ばれず。残り留まる人々のをめき叫びし声、叫喚、大叫喚の炎の底の罪人も、これには過ぎじとこそおぼえ候ひしか。
 さて武士どもに捕らはれて上り候ひし時、播磨国明石の浦に着いて、ちとまどろみて候ひし夢に、昔の内裏には遥かにまさりたる所に、先帝を始め参らせて、一門の公卿殿上人、皆ゆゆしげなる礼儀にて候ひしを、『都を出でて後、かかる所は今だ見ざりつるに、ここをばいづくぞ』と問ひ候ひしかば、二位の尼とおぼえて、『龍宮城』と答へ候ひし時、『めでたかりける所かな。これには苦はなきか』と問ひ候ひしかば、『竜畜経に見えて候ふ。よくよく後世をとぶらひ給へ』と申すとおぼえて夢覚めぬ。その後はいよいよ経を読み念仏して、かの御菩提をとぶらひ奉る。これ皆六道に違はじとこそおぼえ候へ」と申させ給へば、
法皇仰せなりけるは、「異国の玄奘三蔵は、悟りの前に六道を見、我が朝の日蔵上人は、蔵王権現の御力にて、六道を見たりとこそ承れ。これほどまのあたりに御覧ぜられける御事、まことにありがたうこそ候へ」とて、御涙にむせばせ給へば、供奉の殿上人も皆袖をぞ絞られける。
女院も御涙を流させ給へば、つき参らせたる女房達も皆袖をぞ濡らされける。

御往生 <建久二年>

 さるほどに寂光院の鐘の声、今日も暮れぬと打ち知られ、夕陽西に傾けば、御名残惜しうは思しけれども、御涙を押さへて、還御ならせ給ひけり。女院は今さら古を思し召し出ださせ給ひて、忍びあへぬ御涙に袖のしがらみせきあへさせ給はず。
遥かに御覧じ送らせ給ひて、還御もやうやう延びさせ給ひければ、御本尊に向かひ奉り、「先帝聖霊、一門亡魂、成等正覚、頓証菩提」と泣く泣く祈らせ給ひけり。
昔は東に向かはせ給ひて、「伊勢大神宮、正八幡大菩薩、天子宝算千秋万歳」と申させ給ひしに、今は引きかへて、西に向かひ手を合はせ、「過去聖霊一仏浄土へ」と祈らせ給ふこそ悲しけれ。御寝所の障子にかうぞ遊ばされける。
  このごろはいつ習ひてかわが心大宮人の恋しかるらん
  いにしへも夢になりにし事なれば柴のあみ戸もひさしからじな
御幸の御供に候はれける、徳大寺の左大将実定公、御庵室の柱に書きつけられけるとかや。
  いにしへは月にたとへし君なれどその光なき深山辺の里
来し方行く末の事ども思し召し続けて、御涙にむせばせ給ふ。折しも山ほととぎすの音づれければ、女院、
  いざさらば涙くらべんほととぎす我もうき世に音をのみぞ泣く
 そもそも壇浦にて、生きながら捕はれし人々は、大路を渡して首を刎ねられ、妻子に離れて遠流せらる。
池大納言のほかは、一人も命を生けられず、都に置かず。されど四十四人の女房達の御事は、沙汰にも及ばざりしかば、親類に従ひ、所縁についてぞおはしける。上は玉の簾の中までも風静かなる家もなく、下は柴の枢のもとまでも、塵をさまれる宿もなし。枕を並べし妹背も、雲居のよそにぞなりはつる。
養ひたてし親子も、行き方知らず別れけり。忍ぶ思ひは尽きせねども、歎きながらもさてこそ過ごされけれ。
これはただ入道相国、一天四海を掌に握つて、上は一人をも恐れず、下は万民をも顧みず、死罪、流刑思ふ様に行ひ、世をも人をも憚られざりしが致す所なり。父祖の罪業は子孫に報ふといふ事疑ひなしとぞ見えたりける。
 かくて年月を過ごさせ給ふほどに、女院御心地ならず渡らせ給ひしかば、中尊の御手の五色の糸をひかへつつ、「南無西方極楽世界教主弥陀如来、必ず引摂し給へ」とて、御念仏ありしかば、大納言佐の局、阿波内侍、左右に候ひて、今を限りの悲しさに、声も惜しまず泣き叫ぶ。御念仏の声、やうやう弱らせましましければ、西に紫雲たなびき、異香室に満ち、音楽空に聞こゆ。
限りある御事なれば、建久二年二月の中旬に、一期遂に終はらせ給ひけり。
きさいの宮の御位より片時も離れ参らせずして候ひなれ給ひしかば、御臨終の御時、別れ路に迷ひしもやる方なくぞおぼえける。この女房達は、昔の草のゆかりも果てて、寄る方もなき身なれども、折々の御仏事営み給ふぞあはれなる。遂にかの人々は、竜女が正覚の跡を追ひ、韋提希夫人のごとくに、皆往生の素懐を遂げけるとぞ聞こえし。

 

        了

 

 


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※フリーテキストデータを基に縦書へ加工した。
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